完全自立・発電機搭載型キャンピングカーで出来た災害支援と活動(前編)
ご挨拶
台風15号、19号で被害に遭われた地域の皆様へは心よりお見舞い申し上げます。
また、一日でも早く元通りの生活が送れますこと、お祈り申し上げます。
皆様こんにちは。日本一周を始めてそろそろ丸一年が経とうとしている筆者です。
さて、昨今の日本はどこでどの様な災害が発生してもおかしくない環境になっていると感じます。
今回は9月9日に千葉市付近に上陸した台風15号の被害が大きいと報道された千葉県南部へボランティアへ訪れて体感したキャンピングカーの活用方法・強みと、災害時の実際の支援方法を今回と次回の2回に渡ってお話させて頂きます。
キャンピングカーは遊びの道具?
皆さんにとってキャンピングカーと言えばどういうイメージでしょうか。裕福なお金持ちの代名詞?大型連休に出かける道楽の車?たいていの場合キャンピングカーは”遊びの車”と見られてしまいます。
筆者もキャンピングカーに乗る前は、そのようなイメージを持っていました。なので、今回の被災地入りの際も「この大変な状況の中、遊びに来たのか!」と叱られてしまうのではないかと不安を抱きながらの活動となりました。
「人を見た目で判断してはいけません」とよく言われたものですが、社会人を経験した今、見た目は重要だと痛感している筆者です。
発電機搭載キャンピングカーを選んだ理由
私が発電機搭載型のキャンピングカーを選んだ理由はいくつかありますが、一番大きい理由としては、プロパンガスを使用しなくて済むという点です。
2013年は福知山、2018年には相模原の夏祭り会場でプロパンガスが爆発し甚大な被害が出た事故のイメージが強く残っていたので、キャンピングカーでプロパンガスを使用するのは避けたかったのです。
家を断捨離して初めての車上生活、いったい何が良くて何が悪いか、とても不安でしたので、無難で安全な選択をしました。高い買い物をする以上、不安を抱えて安全を蔑ろにしたくなかったのです。
そこで、周りの車や人を巻き込んだ事故を起こさないように、車内でプロパンガスを使わないタイプの完全自立型キャンピングカーを選択しました。
我が家の発電機は、一つのガソリンタンクから車のエンジン、FFヒーター、そして発電機に繋がっているので、一か所に給油すれば3アイテム使える優れものとなっています。しかも車内からボタン2つで発電機の電源の操作が手軽に出来るのも自慢です。
普段の発電機の使い方
安全でお手軽な発電機ですが、稼働させるときに非常に大きい音がするので使える場所は限られています。
静かな夜に発電機を稼働させようものなら、騒音がひどく、排気口の近くは排気ガスの臭いもするので周囲の方に迷惑がかかってしまいます。なので発電機を使って良いと公言してくれる場所以外では使用ができません。
いざ被災地へ
台風上陸から2日目までは道路が寸断されている、という情報があったので、冷静にニュース・SNSで情報収集を行い、出発準備を備えました。
車高のあるキャンピングカーはお世辞にも小回りが利く車体とは言い難いので、行って邪魔になりたくないとも考えていました。
一抹の不安を抱きながらもニュースとSNSで情報収集を続け、まずは千葉県南部の連絡が取れた市の指定場所へ向かうことにしました。
千葉入りする際にキャンピングカーの中に積み込んだ物リスト
・ガソリン(携行缶)
・水道水 (温水タンク・清水タンクを満水)
・熱中症対策ドリンク、塩飴
・栄養補助食品
・栄養ドリンク
・一口で食べられる甘い物
・緑茶
・氷
9/11(水)停電3日目
高速道路のサービスエリアはもちろん停電していましたが、スタッフの方が氷をかき集めて飲み物を冷やしてらっしゃいました。この日の気温は32度、前日は34度以上でした。
飲み物はアクエリアスとコーラ、食べ物は地元のパン屋さんが焼かれた菓子パンが販売されていました。停電でレジは使えませんので、人の手によるお会計です。
筆者は千葉入りする前に決めていたことがあります。
それは「千葉で売り買いされている物は、千葉の方たちの物。私は自分が持ち込んだ物のみ飲み食いする」ということです。
災害から復興に向けた今日現在は、復興の為に現地で飲み食いしてお金を落とす支援の仕方もあります。
しかしあの日あの時はそのタイミングではありません。飲み水一滴たりとも、頂かないと決めていました。
こちらのサービスエリアには工事車両、親族に物資を届ける一般の方が主に休憩をされていました。
そして向かう約束をしている市の関係者の方が休憩してらしたので、お話を聞かせて頂きました。この時点でこの市は既に数日以内に電気復旧の目途を立てており、次のステップとして”ブルーシート”と”土嚢”を運んでいる最中でした。
指定箇所に向かう移動中に「もしかしたら、電源の供給なんかもう必要ないかもしれない。行っても邪魔になるだけかもしれない。行っても無駄かもしれない。」と、後ろ向きな気持ちになりました。
しかし「是非こちらへいらしてください」とおっしゃって頂けていたので、とりあえずダメ元で指定箇所へ向かいました。
某市の防災窓口へ
市役所窓口へ到着後に防災担当の方とお会いして、すごく手際よく早い段階で次の行動も見据えて対応されていると感じました。必要物資も振り分け、配布する人手も確保されていました。
既に市内の避難場所になる施設を解放されていて、その中でも特に物資が薄い施設へ物資供給と電源車としての加勢を要請して頂けたので、そこで支援活動をさせて頂きました。
供給が終わった後に向かった先は、電話が不通だった隣の市の市役所です。実はこちら、最初に訪れた市の方から「隣(市)も酷い事になっているので、この後行ってあげて欲しい」と教えて頂いていました。
移動中の街並みは、木が根元から倒れており土がついた根っこが見えていたり、家の壁が落ちてしまっていました。そしてこの市は報道されていないエリアでしたので、情報の吸い上げが出来ない程の被害だと推測されていましたが、私たちが到着した時には市役所に報道車が集まっていましたし、敷地内には各携帯会社の電波車も来ていました。
窓口で隣の市から薦められて訪れたことを伝えましたが、こちらの市はまさに”てんやわんや”状態でした。
市内の現状・状況把握が出来ていないから、ボランティアもお断りとのことでしたので、次に名前が挙げられている市へ向かうことにしました。
移動中に街中を見て回りましたが、木や看板は根本から横たわっていました。
家の屋根や壁がなく、リゾート地の看板も飛んでしまっていました。海岸沿いでは潮の香りよりも土の香りがしました。そして木々の緑がつぶれる香りも。
酷い所では物置き倉庫の様な建物が逆さまになっていました。シャッターも、こうやって作られているんだ、と思ってしまう様な壊れ方でした。
屋根瓦も落ちて粉々になり、道路沿いに広がっていました。屋根瓦が落ちている家屋を見た時は、「からぶき屋根の家かな?」と思いました。屋根の基礎を初めて見ることになりました。
日が暮れてしまうと停電している地区は真っ暗で、どこに家があってどこが道路なのかも分かりません。
実は筆者が日本一周を始めて一番最初に訪れたのが千葉県でした。
千葉県の内房・外房、様々な海岸に寄っては砂浜や小石の違いを楽しみました。海風を感じながら走った海岸沿いも、まだ記憶に新しいです。
その記憶のある道路が、あの時とはすっかり変わってしまっていたのです。
真っ暗で人の気配も感じられない中、この日の活動を続けるか迷いました。しかし前日から準備のためほとんど無休無息だったので、明日からの支援活動に備えて休息を取ることにしました。
ちなみにこの日の夜は真っ暗な道の駅で仮眠しましたが、停電しているお家から冷房の効いている車内に避難されている方が数組いらっしゃいました。
この時会った方は「明日くらいに電気が戻れば良いんだけどねぇ」とおっしゃっていましたが、このエリア、まだもうしばらく停電が続くことになったのです。