【取材】能登半島地震の復旧支援に60台のキャンピングカーが活躍
目次
被災地でのキャンピングカー利用を進めた関係者に聞きました
今年の1月1日に発生した令和6年能登半島地震。
被災地からの協力要請を受けた日本RV協会は、レンタルキャンピングカーや試乗車などの提供を会員各社へ呼びかけ、現地に集められた計60台のキャンピングカーが、全国各地から応援のため被災地に派遣されている自治体職員の宿泊施設として利用されています。
キャンピングカーは目的地まで自走でき、手足を伸ばして眠れる快適なベッドや暖房、煮炊きができるキッチン、車によってはシャワーやトイレまで完備した「走る家」としての能力を到着したその時からすぐに使えることが、災害現場で威力を発揮しています。
キャンピングカー貸与となった経緯や現地での利用のされ方について、関係者に取材できました。
被災地で宿泊施設としてキャンピングカーを利用するに至った経緯
今回の能登半島地震で甚大な被害が出たのは、「奥能登」と呼ばれる輪島、珠洲、能登、穴水の4市町村で、いずれも半島の先端部に位置しています。
そのため平時でもアクセスに時間がかかり、宿泊施設も少ないエリアですが、地震によって家屋の倒壊をはじめ道路や水道などインフラが大きな被害を受け、旅館やホテルは営業を停止。
現地では宿泊できる施設がほとんどない状況です。
地震から3日後の1月4日に応援のため珠洲市に入った熊本市危機管理課主幹の大塚和典さんは当初、金沢市のホテルから車で現地へ通う計画だったそうですが、「いたるところで道路が寸断され、迂回路を通るため金沢から珠洲市まで片道10時間以上かかりました」。
こうした状況から、金沢からの往復を断念。ホテルをキャンセルしてその日は車中泊することに。
しかし、セダンタイプのレンタカーに大人4人が寝たところ、車内が狭い上にシートを倒してもフラットにはならず、「とてもじゃないが寝られない。寝袋を買って明日からは市庁舎の床で寝るしかないな」と考えていたといいます。
日本RV協会の荒木賢治会長からの電話がきっかけ
ちょうどそんなところへ、日本RV協会の荒木賢治会長から大塚さんへ電話がかかってきたそうです。
大塚さんはかつて、荒木会長が福岡県で経営する店でキャンピングカーを購入したことがあり、それ以来個人的な付き合いが続いていることから、被災地支援に出ている大塚さんを気遣ってのことでした。
大塚さんから「宿もない」と聞いた荒木会長は、被災地に近い京都の販売店からキャンピングカーを手配すると約束。
大塚さんは現地に届けられたキャンピングカーを珠洲市長など市の幹部へ紹介すると、その有用性が分かった珠洲市では、さらに多くのキャンピングカーを貸与してもらえるよう日本RV協会へ正式に要請することを決定。
日本RV協会はこれを受けて1月5日に珠洲市へのキャンピングカー貸与を決め、全国の会員各社へ協力を要請したのです。
60台ものキャンピングカーが被災地に貸与
11日には19台が現地に到着し、その後の追加で1月末には30台が配備されました。
こうした珠洲市の取り組みを聞いた輪島市も日本RV協会へ支援要請を行い、こちらにも30台を貸与。
計60台のキャンピングカーが、全国から派遣された自治体職員の宿泊施設として活用されています。
中にはユニークな取り組みをしている会員企業もあります。
岐阜県のトイファクトリーは、日本RV協会の呼びかけに応じたキャンピングカー貸与をはじめ、自社の顧客と協力した災害物資の提供や医療支援スタッフの休憩・宿泊場所としてキャンピングカー貸与を実施してきた他、水や薬品を使わず排泄物を処理できるウォーターレストイレ「クレサナ」を装備したトイレカーを珠洲市に設置しています。
きっかけはキャンピングカーを現地へ運んだスタッフが、くみ取りが間に合わず劣悪な衛生状態の仮設トイレを目の当たりにしたことでした。
同社では急遽、トイレカーの開発を始め、ハイエースのロングボディー車の最後部にクレサナを2台設置して、ドアや仕切りを設けたトイレカーをわずか2日で完成させ、1月末には珠洲市にある避難所の公民館に女性専用トイレとして派遣しています。
次のページ▷▷▷【キャンピングカーはどのように被災地で活躍したのか、今後の日本RV協会の取り組みをご紹介します。】