マツダ プロシード

気軽に車中泊を始めよう!80年代『車旅』回顧録



もう車の中で何泊したかなど全くわからないが、誰にでも最初はあり、もちろん私にも初めての車中泊はあった。

そして経験上そんなに気負わなくても車中泊は誰にでも始められることだと思うのだが、なかなか足を踏み入れられていない人もいると思う。

オッサンの昔話は、「どうだオレ様凄いだろう」的な自慢話になりやすくて嫌いなのだが、なかなか実行に移せないでいる人の背中を押すきっかけにでもなればと思い、自分が初めて車中泊をした80年代から20世紀末頃までにかけての昔話などをしてみたいと思う。

既に車中泊を楽しんでいる人も、80年代の車旅事情を知る読み物として、また当時を知る同世代の人は、青春時代を思い出すきっかけにもなり楽しんでいただけるのではないかと思う。

泊まれる車に興味を抱いたきっかけ

「泊まれる車」に興味を抱くようになったきっかけは小学生の頃にまで遡る。

愛読書だった「冒険手帳」という本の中の小さな挿絵の一つに、家のようなものを背負ったカタツムリかヤドカリを連想させる異様な車の絵があったのだ。

どうやらアメリカの車であるらしいことはわかったのだが、その正体は不明だった。

愛読していた本の挿絵の車

本は手元に残っていないが、挿絵に描かれていたのは確かこんな車だった。

キャンピングカーの存在は知っていたのだが、キャンピングカーは車で引っ張って運ぶもの、要するにトレーラーと認識していたので、その異様な外観の車もキャンピングカーの一種で、トラックキャンパーだと知ったのはそれから暫く経ってからのことだ。

トレーラー

しかし、一体この中はどうなっているのだろうかとか、実際に走っている姿はどうなだろうかと想像力が掻き立てられ、乗ってみたいとも思うようになり、全然カッコイイとは思わなかったのだが何故か憧れてしまった。

これが「泊まれる車」との最初の出会いだ。

その後、モーターショーの自動車ガイドブックなどを見ていると四角い車(VAN)が色々載っているのを発見する。

それまではまるで意識したこともなかったようなタイプの車だ。

日本には家を背負ったような車などないけど、もしかしたらこれなら中で寝たりもできるのではないだろうかと思うようになり、ガイドブックやカタログで荷台の寸法などを入念にチェックし、写真を見てはこうすれば動く家になるだろうとか勝手に想像したりしていた。

とにかく子供の頃はこんな風にして何かと想像ばかり膨らませていたように思う。

また、70年代から80年代頃までは実際に街中で見かける以上に各メーカーが色々なVANを製造していて車種が多く、写真を見たり想像しているだけでも本当に楽しかった。

それを考えると現在はOEMばかりでバリエーションに乏しく、はっきり言ってつまらない。これでは自分が子供の頃のようには夢も膨らまないのではと余計な心配などしてしまう。

高校生になるとVANを改造して部屋みたいにしている車やピックアップトラックをカッコ良く仕上げた車の写真、車で世界を旅した人の話などが載っている雑誌を見つけ、またしてもそんなのを見ながらああだこうだと想像しては、いつか自分もこんな車で旅をしたいと夢を見るようになっていた。

普通自動車運転免許は18歳になったのとほぼ同時に取得したが、自分の車など持てる経済力などない。

そして小学生の頃からVANに興味を抱いていたヘンな少年だったと書いておきながら、実は自分で車を買えるようなってから実際に初めてVANを入手したのは30歳を過ぎてからだ。

スルガ銀行キャンピングカーローン

初めての車中泊は普通のセダンだった

初めて一人で車中泊らしいことをしたのは、大学1年の夏休みだ。「車中泊」なんて言葉はまだなかったと思う。

その当時親が青森県に住んでいたのだけど、自分自身は青森県に住んだことはなく、あまり馴染みのない土地だったので車で少し遠出をしてみたくなり、青森市内の親の家から父親の車を借りて津軽半島や男鹿半島とかに行ったのが人生初のソロ車中泊旅だ。

父親は至ってフツーのサラリーマンだったから、車はフツーの白いセダン。

車中泊と言っても座席をリクライニングさせて寝袋にくるまって寝ただけだ。

確か二泊しただけだったけど、今だったらエコノミークラス症候群が心配で、なるべくならそんなことなどしたいとは思わない。

しかし、まだ10代の若者にはそれでも十分快適で、雨を心配することなく寝られて、車に乗せてくれる人を待ったり(ヒッチハイク)、本数の少ない田舎のバスの時刻表を気にすることなく気ままに旅ができることにえらく感動したものだった。

ファミリー写真

初めて車中泊したのは上の画像の車ではないが、同じ頃の写真。この車の中に4人で泊まった。バンダナを頭に巻いていた自分がなんとも恥ずかしい。

自分の車での旅はまだまだ先のことになるが、これが私の車中泊の原点だ。

要するに初めは車なんてなんでも良くて、思い立ったらやってみた方が良いと思うのだ。

バックパッキングのようなジムニー旅

その次に思い出すのは、やはりまだお気楽な大学生の頃の話で、親戚の家にあったジムニーを借りて北アルプス方面を巡った旅だ。

ジムニーで移動して山に登って、山ではテントで寝て、降りてきたらジムニーの中か車の脇で寝るのを繰り返し、一夏に幾つかの山を登った。

ご存知の通りジムニーの車内は決して広くないのだが、四角くてそこそこ天井高のある荷室は、まだ無駄な肉など付いていなくて体も柔らかい若者にとっては結構広い空間に感じられ、なぜか荷室で体育座りなどしてみて、広い広いと感心したものだった。

友人と二人だったのだが、雨の心配がある夜は車外ではなく二人とも車内で寝たはずだ。

どうやって狭いジムニーの車内に二人で寝たのか記憶が曖昧だが、逆に問題を感じた記憶もない。

今同じ年代のオッサンとジムニーの中に二人で寝ろと言われても絶対に嫌だ。考えただけで暑苦しい。

しかし、その頃は躊躇もなければ別段疲れた記憶もない。翌日は朝早くからまた普通に山に登ったりしていた。若さってのは本当に凄い。

これで思い出した話がある。

私が以前働いていた某アウトドアウェアメーカーの創業者(アメリカ人)は著名なクライマーでもあり、若い頃は*1ホーボーのような旅をして各地の山を登っていたそうだが、ある晩友人と貨物列車の操車場に置いてあったジープを寝ぐらにしたところ、あっさり捕まってしまったことがあると言っていた。

*1(主に貨物列車に潜り込んで無銭旅行をし、チャラチャラと人前に登場などしない、かなりヤバイ感じのアンダーグラウンドな旅人達のこと。)

理由は、何台も置いてあったジープの中の一台の窓だけが寝ている間に結露で真っ白になっていたからだったそうだ。

話を戻して、そのジムニーについてだが、まさに上の写真と同じシルバーのバンタイプ(この頃のジムニーは幌仕様も普通だった)で、エンジンは539cc2ストローク、最高出力:28PS、最大トルク:5.4kgのSJ30だった。

エンジン音はポロロンポンポンと今ではもう聞くことない2ストロークエンジン特有の音で、スピードが出て高回転になるとポロロンポンポンがグワーンとかガビーンに変わり、揺れるたびに何やらあちこちからガシャガシャと音のするような車で、高速道路を走るのは厳しい車だった(それでもたまに走った)けど、普通に走る分には何も問題などなく十分だった。

当然エアコンなどない。暑ければ窓全開だけど、どうせうるさいから窓全開でも関係なし。原付バイクの延長のような、動くバックパック+テントのような本当に楽しい車だった。

この車は、その何年後かに譲り受けることになるのだが、この頃のことを思い出すと、あんな無茶な旅はもう無理だとしても、何倍も快適になった現在のジムニーでまた旅をしてみたいものだと思ってしまう。

レンタルキャンピングカー

私の車旅の経験は、その後もほとんどがキャンピングカーの旅と言うよりは車中泊、或いは車を軸にしたキャンプといったようなものだが、本格的なキャンピングカーで旅をした経験もあるにはある。

まだ20代前半、これも80年代の話だ。友人数人とクラスCのレンタルキャンピングカーを借りて、カリフォルニア・ネバダ・アリゾナなどを旅した。10日か2週間くらいの旅だったと思う。

RVパーク

そんな昔から憧れのクラスCのキャンピングカーのレンタカーがあったことも当時の日本では考えられないことだったが、それより、どこの町に行っても広いRVパークがほぼ確実にあることに感心したものだ。

90年代にオーストラリアに行ったら、オーストラリアでは呼び名がキャラバンパークだったけど、同様に大抵そうした施設があって、RVパークやキャラバンパークの普及率の高さは、私の中でアメリカやオーストラリアと日本との文化の違いを大きく感じるものの一つとなっている。

しかし、現在は日本でもレンタルのキャンピングカーが普及してきたようなので、そんなのを利用して始めてみるのも良いかもしれない。

最初の自分の車

日本で普通に就職して最初に買った自分の車は中古の4代目ハイラックス RN36だった。初代の4WDハイラックスだ。

何故VANではなくピックアップトラックだったかと言えば、夏山だけでなく、当時はまだ山スキーとか山岳スキーなどと呼ばれていたバックカントリースキーにも目覚めた頃で、悪路や雪に強い四輪駆動車が欲しかったからだ。

友人のハイラックス

画像の車は同型だけど実際の自分の車を入手する前に他人の車の前で撮った写真。しかし、何故ここでも頭にバンダナなのか? 恥ずかしい。

その頃はまだ四輪駆動のVANなどないし、ハイラックスサーフもまだ新しかったから高価で、中古のまともなランクルはやはり高価。

そこで、屋根はないけど人が寝るのに十分な広さで平らな荷台のあるピックアップトラックを選んだのだった。

夏は群馬県や長野県方面へ行けば涼しいのでは思い、休日はその車で特にあてもなくそっち方面へ向かう。

車が入れる河原を見つけては焚き火で友人とわけのわからない料理を作って酒を飲み、テントを張ることもなく河原や荷台で寝たりしていた。

そして、3年間働いた会社を辞めたのは3月の末。ゲレンデが白いワンピースのスキーウェアで溢れかえるような普通のスキーシーズンは終わる頃だが、厳冬期には入るのが難しいような山々がバックカントリースキーに適したシーズンを迎える時期だ。

その年は5月の末頃までRN36とともにスキーバムのようなことをして過ごした。

星が出ている夜は荷台にマットを敷いて寝袋にくるまるだけ。屋根はないけど、寝てしまうと四方が壁に囲われて風を防ぎ、案外寒くない。

雪や雨が心配な晩はキャブから荷台にタープを被せて寝たり、それをしにくいような場所(街中や道端)ではシートがリクライニングしないシングルキャブの中でネコのような格好をして寝たりもした。

日本仕様のハイラックスは4ナンバーに収めるために2Lガソリンエンジン(アメリカ仕様はもう少し大きなエンジンだった)で4速マニュアルトランスミッション。

スピードを上げるとかなり賑やかになり、燃費も良くなかったけど十分なスピードは出て、ランクル譲りの走破性のある頼もしい車だった。

その後もこの荷台で何泊したかなど数え切れやしないが、とにかくあちこち行ったものだ。

現在のハイラックスは、中古でも平均的な収入の若者が入手するのは困難な高級車になってしまった。

また、最近何かと軽トラが話題に上がり、流行りつつあるようでそれも悪くはないのだが、やはり動力性能やキャビンの広さは、軽トラと手頃な4ナンバーサイズだった頃のハイラックスやダットサントラックとでは大きな隔たりがある。

軽トラのおもちゃ

大きさも価格も手頃だったこのクラスの車が消えてしまったことは本当に残念でならない。

と言うより、その当時このハイラックスが存在しなかったとしたら、私の青春の大くの部分が喪失してしまうと言っても過言ではない。

「若者の車離れ」などと言う前に、若者が買えて「欲しい」と思う車を作ることが先だと思う。