完全自立・発電機搭載型キャンピングカーで出来た災害支援と活動(前編)
9/12日 停電4日目
翌朝、移動先の観光施設にスタッフの方の姿が見えたので、お話を伺いました。どうやらこの先の市と市の境目部分が物資のないスポットになっているそうです。
もちろん停電も続いているとのことでしたので、とりあえずそちらの地域へ向かうことにしました。
キャンピングカーで港町を走りながら、出会った方に声を掛けました。
「お水はきていますか?電気はきていますか?食べる物はありますか?」
こちらのエリアは水はきているが、電気はなく、食べ物は多少あるとのことでした。
食べ物は台風がくる予報を受けて買いだめをしていた方ばかりでした。
逆に、停電が続き冷蔵庫・冷凍庫の機能が失われて慌てて食材を消費している。むしろダメになってしまった食材をこの日の朝、ゴミに出したという声がほとんどでした。
日持ちする防災食は味が濃く、普段から食べ慣れていないと数食で飽きが来てしまうそうです。お米とお水を確保出来た上で重宝される保存食は缶詰との声が多数ありました。
また、電気と水だったら水の方が重要だと知ったともおっしゃっていました。
ちなみにここで言う”水”とは、トイレを流すための水の他に、スタンダードな飲み水、お茶、熱中症対策用ドリンクを指しており、これらの飲み物がとても重宝されていました。
大手ドリンクメーカーが前日に救援物資を届け、ジュースなどの配布をしておりましたが、特にご年配の方はジュース類よりもスタンダードなお茶などを好むとのことでした。
そしてこの日はたまたまお声掛けさせて頂いた方が駐車場を解放して下さったので、8時頃から18時頃までこちらの場所をお借りして電源供給と物資の配布を行わせて頂きました。
こちらでは携帯電話・スマホの充電に加えて、炊飯器を炊くお手伝いをしました。
お水が出るエリアだったので、家でお米を研いで炊飯器にセットした状態でお預かりしました。携帯・スマホの充電を同時に8台〜10台程行っていたので、使用電力の兼ね合いで炊飯器は一台ずつしか炊けません。
大きい炊飯器をお持ちの方にはご近所さん同士声を掛け合って頂き、一升の炊飯器で数件分まとめて炊いて頂く等のご協力を仰ぎました。
助け合いの精神で、上手く協力して頂くことができました。
しかし早炊き機能があるものでも約1時間弱炊飯に時間が掛かります。炊飯器も数台待ちの状態でしたので、その間は地元の方とお話をさせて頂きました。
市と市の境に位置するこのエリアは合併市町村だったようで、「市から見放された。誰も来てくれない。よく来てくれた。」とお話しして下さいました。中には涙をこぼされる方もいらっしゃり、私たちも胸が痛みました。
また筆者のポケットWi-Fiが奇跡的に電波を拾っていたので解放したところ、4日ぶりに県外のお子さんや親戚に連絡が取れたと涙される方もいらっしゃいました。
しかし個人で契約しているポケットWi-Fiを無条件で解放するには戸惑いがあったので、ポケットWi-Fiの販売会社へ連絡を取ったところ、緊急事態なので上手く対応して下さるとの返答がすぐにあり、解放に繋がりました。
あくまでも筆者が個人で勝手にやっていることなので、会社様からフォローして頂き有難い限りでした。
この時大手通信会社の電話は不通でしたが、インターネット回線のLINE電話やメールで連絡を取ることが出来ていたので、災害時にすぐ使えるように普段から使い慣れておくとベターだと感じました。
大手通信会社と一言で言っても、電波供給車には台数に限りがあるでしょう。A社とB社は大型電波供給車を市役所に配置しておりC社はワゴン車で細部に配置されていました。
そして我が家のポケットWi-Fiの電源元はC社だった為、A社とB社の携帯をお使いの方に向けて解放出来たという訳です。ちなみにWi-Fiを切るとB社の回線になりますが、こちらの電話はもちろん使えませんでした。
また余談ではありますが、東日本大震災の際には電話はもちろんメールも送れない状態の中、SNSのメッセージ欄で伝言を残せた経験もあるので、機械を毛嫌いせずに普段から色々やってみるのも良いのかなと感じました。
この日支援活動を終えて、発電機の偉大さを目の当たりにしました。
まさか発電機をこんなに長時間回しっぱなしにする日がくるとも思いませんでしたし、こんなに大勢の方の生活のお手伝いを出来るとも思っていませんでした。
そして何より胸にジーンときたのは「4日ぶりに温かいご飯が食べられる。ありがとう。」の言葉でした。
正直私たちの生活は温かい物は温かく、冷たい物は冷たいまま口にできるのが当たり前になっています。しかし不測の事態に陥った時に改めてその便利さを痛感します。
冷蔵庫の中の物は全部ダメになってしまって、お米しかないかもしれない。それでも温かいご飯を食べて幸せを感じられる。とても重要なことだと思いました。
そして日没後、お借りした駐車場を後にし、この日の救援活動は終了しました。
移動中に県外ナンバーの電気工事車両が何台も復旧作業をされていました。北は青森、南は福岡ナンバーまで応援に駆け付けている姿を見て、涙がこみ上げてきました。
きっと県外から応援にいらしている工事車両の方にも家族がいるはずで、いつまで拘束されるか不透明の中、夜を徹して作業をしてらっしゃったのでしょう。
お話が長くなりましたので、今回はここまでとなります。
次回もキャンピングカーで出来る支援活動のご紹介をさせて頂きます。
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